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うさぎと暮らして三年五か月

2015年11月22日 09:03

遡ること三年と五か月前、私は、死の淵にいた。

 当時、全く良くなる見込みもなく。そして、自宅で投薬治療を続けていたものの。既に薬を飲む→体を清める→眠るという「ただこれだけのこと」が困難になり始めていた。当時の主治医は「そらぁもう、入院ですよ。それすら出来ないとあれば」という。なるほど全くもってそれは正しい

 しかし、入院中の傷病手当の書類周りの手続きや発送や保険料や家賃の振り込みは誰がやるのか?

 あいにくと実家の家族は父親の末期がんの世話が終わり、憔悴しきっていた時期でもあり、また実家の母や弟、妹がこちらに駆けつけてくると言うのも非現実的な話だった。

 つまり、私が自宅で療養できなければ、やはり入院という話になる。しかし、入院すれば長いだろうし、今住んでいる家も手放さなければならない。大きくため息をついて『これは、コインランドリーの乾燥機に100円玉放り込んでいる場合じゃないぞ』と発起し、窓を開けて物干しざおに洗濯物をまずは干そう。こう窓を開けた時のこと。

「物干しざおが、ない……だって?」

 引っ越してきた時には引っかかっていた物干しざおが、綺麗に消えていた。由々しき事態である。
 おそらくは、気づかない内に盗まれたのだろう。入院を迫られたり、今日は今日とて具合は悪いし、全くロクなものではない。

 全身を鉛で出来た服を着たかのような足取りでホームセンターに向かう。少なくとも、入院するかしないか。頑張って自宅療養と治療を続けるか。思考を放棄して、医者に勧められるがまま入院するか。入院するとして、諸々のことをどうするか。

 物干しざおを買うまでに決めなければならない。
 生きるべきか、死ぬべきか。598円のアルミ物干しざおを手に取るまでに決めなければならない。

決められるわけ、ないじゃん。
 ビバホーム(ホームセンター)で物干しざおを呆気なく手に取って思ったことがそれだった。
 考えれば考えるだけドン詰まりで、一体何をモチベーションに生きていけばいいのか。それすら曖昧になりかけた。

 その時、ふとこの店には小動物コーナーがあり、うさぎも確かいたはずだ。という、情報が頭をよぎる。

 実家のうさぎを溺愛(しかし、私は東京で実家のうさぎは北海道だ!)していたことを頭に浮かべ、せめて会えないなら最後くらいは、かわいい動物見て癒されたいと思うのは当然の成り行きだった。フランダースの犬におけるネロがルーベンスの絵を見に行くような心境。こう書けば、読者諸兄にはご理解いただけるだろうか?


loverabbit.jpg


そこで、この仔に出会った。

 写真はついこの間のものだが、当時のこの仔は、それこそまだウサギのあかちゃんといった感じで、ちょうど手のひらに収まってしまうほどのサイズである。これが「ウサウサ」というより「だよだよ」していたのも、また愛らしかった。

 一時間ほど、ケージの前で話しかけたり気を惹いてみた末。

 気づけば、店員氏を呼び出し。我に返ったころには、ケージやら何やら、一式お買い上げした上で、もう私の腕の中には、この仔がいたのであった。

 さて、うさぎはデリケートな生き物である。ケージは二日に一回掃除しなければ、容易に感染症に掛かって死んでしまうし。室温が35度以上の環境に二日ほど置けば死んでしまう。小まめな給餌やお世話が出来なければ、あっと言う間に死んでしまう

 自分の面倒も見切れないのに、なぜ飼ったのか。

 それは、この仔を育て上げることで、自分にはまだ生きる力が確かに残っているのだ。こういうことを証明したかったのかも知れない。

 それから、三年と五か月。名もなき仔ウサギには「ライム」という名がつき、私は毎日世話をし、ともに遊び。ともに食べ、今日も一緒に生きているのだ。

 正直な話、体を引きずりながら虚ろな瞳で世話をしていた日もある。すべてが完璧かと言われればそれは違う。

 だが、私はもう一人ではない。この仔を遺して、逝くわけにはいかないのだ。
 昨日、伸びきっていたライムさんの後足の爪が左手の甲にクリーンヒットし、鮮やかな傷を作った。

 痛みよりもまず、爪切りに気を配っていなかった自分を恥じ、ひょいとライムさんを抱き上げて、うさぎ用の爪切りでパチン、ぱちんと爪を切った。爪を切られると言うのは、うさぎにとってすれば、骨を切られるのと変わらない。本人からすると麻酔なしの外科手術のようなものになる。
 それを、私の傷口を悲しそうに眺めながら、ただ黙って爪を切られるがままになっているライムさんを見て。ああ、確かに私達は家族なんだ。こう再確認した。

 うさぎ飼育の最初の試金石は、誕生後六か月である。飼育が適切でなければ、死んでしまう。
 次の壁は一年半。いずれも健康なまま乗り越えた。

 毎日、何かしらの発見がある。見せてくれる表情もそうであるし、甘える仕草、遊びに誘う仕草。落ち込んだ時に不意にかけられる無言の愛情。

 うさぎと暮らして三年五か月。私達は今日も生きている。

児童相談所全国共通ダイヤルは「189」/東京OSEKKAI化計画は成功するか?

2015年11月06日 21:51

toukyou_osekkai.jpg

東京児童相談所が、少なくとも都営三田線ユーザーに訴えかけている「東京OSEKKAI化計画」では、子育て中の父母に暖かいエールと隙あれば手伝いや支援を。児童虐待に関しては、おかしいなと思ったら近所の人でもいいので児童相談所全国共通ダイヤル「189」まで電話を……と呼び掛けている。

 これからは、ともかく私たちがそういった「おせっかい」を上手くやれればいいのだ。私は少なくともそうしようと思っている。

 だが、大部分の人は不器用で、そういった人達がおずおずとお節介を働くと「不審者」としてTwitterや地域安全メーリングリストに「晒される」ことになってしまう。

 育児世代が、地域の誰かを信用できる地元づくりは、例えば区議会議員や、町会にとって新たな事業の始まりとなるいい切っ掛けではないだろうか。

※とりあえず、私が「良い大人」として世にお節介をしていることを列挙すると。

ポイ捨てされているゴミを見つけたら、拾ってしかるべき場所に捨てる。倒れている自転車があれば黙って直す。信号をキチンと守る。あからさまに困っている人には声をかける。これだけで最低限、小さい子供の良い手本になれる。そんなことから始めていけばいい。

貧困問題へのとりあえずのアドバイザリ

2015年10月08日 17:23

日本における貧困問題を論ずるにあたり、まず以下の様なものと単純に定義する。

 老人の貧困問題は本稿では扱わない。

 既に手厚く保護されているからだ。(異論は大いに認める)

 本稿は、私なりのアドバイザリーである。なのでもっと良い方法もある! と、ご存知の方は積極的にコメントして頂けると助かる。

 記事が気に入ったらしシェアてくれるとなおよい。

 若者や現役世代にフォーカスを当てて考えてみよう、以下の3パターンと仮定する。

1.就業しているが、生活保護世帯の保護額を税金・健康保険・国民/厚生年金を控除後下回る。いわゆるワーキング・プア世帯

2.本人は就業出来るが、親や子供の介護などで就業出来ない世帯。

3.生活保護世帯

 このいずれか、または複数に当てはまればその個人や世帯は「相対的貧困状態」にあるといってほぼ間違いない。

 では、この3つの世帯を救うためには何が必要だろうか? いまある制度を紹介する。

 これを読んで「足りない」と思った内容が、すなわち『これから取るべき貧困対策』となる。思い立ったら、地方議員や国会議員に相談してみよう。



1.ワーキング・プア世帯


A.年金

 あまり知られていない話だが、各種減免措置を利用できる。年金については、国民年金の場合。1/2免除、1/4免除、全額免除が利用できる。


A.健康保険

 会社が加入する社会保険の場合、四半期ごとか半年ごとに保険料の等級が見直される。その時、直近の3ヶ月で一番高い額を基準として設定される。会社の人事給与を処理する担当者に相談のこと。

 国民保険の場合、均等割り制度があり、更に世帯の状況により減免措置が受けられる。板橋区なら区役所の国保年金課へ相談してみよう。


A.給与額が低すぎる

 会社に労組があれば、相談する。そもそも控除後に生活保護世帯よりも給与額が低いと言うのは、最低賃金法に違反している可能性が高い。フルタイムで働いている場合はとくに。

 パートタイムやアルバイトの場合は、この最低賃金法を満たしているかを注目してほしい。パートタイマー・アルバイト向けの全国労働組合などもあるため、そちらも活用して損はない。


2.親の介護で就労できない世帯

A.介護

 介護保険法により、要介護認定の状況によって各種サービスや施設への入所が行える。申請はやや面倒だが、ずっと面倒を見て貯金が尽き仲良く生活保護の下へずるずる滑っていくよりは、せっかくある介護保険制度を利用するほかない。

 また、板橋区では介護ボランティアの募集などを板橋ボランティアセンターなどを通じて「簡単な話し相手」「飼い犬の散歩」「家や出先での付き添い」などを募集することが出来る。

3.生活保護世帯

 生活保護に至る経緯は様々なため、ここでは病気の治療などを経て就業ブランクがあった場合を想定する。


A.職業教育

 ハローワーク(公共職業安定所)にて、年数回に分けた職業訓練校での各分野教育を受けることが出来る。テキスト代や訓練校への交通費は、生活保護から実費が支給される。


A.資格取得


 各種資格試験について、原則一回まで試験代を負担してもらえる。

 自動車運転免許などは、就業が決定し、就業条件に「運転免許」があった場合。採用決定後に、任意の教習所などに通い取得することが可能


A.就労準備教育


 キャリアカウセリングや、就労支援団体による模擬就労プログラム。作業療法プログラムなどが各地方自治体を通して、民間団体が請け負う形で行われる。利用料は掛からない場合と何らかの負担を負う場合がある。

・まとめ

 以上が、さっくりとした現代の貧困対策である。

 生活保護世帯が受けられる支援が手厚いのは、生活保護は最後のセーフティインフラであり、ここの内容を削ると本気で死人が出るからだ。

 なお、ハローワークによる職業訓練は1の世帯でも2の世帯でも平等に受けることが出来る。
 (但し、交通費や教材代は自腹だが、民間のそれより遥かに安価である)

ご意見、ご感想、罵倒、いいね!、記事のシェアなどよろしくお願いします。

日本人の『貧困』に対する考え方

2015年10月08日 17:11

日本人の『貧困』に対する考え方は、実に他罰的なものだ。

 そもそも、そんな風になる奴が悪い『普通は』そうならない

 だいたいこの辺りで、思考を停止させてしまう。

相対的貧困率が上がれば、いま貧困状態でない世帯もやがて貧困世帯に転落する可能性が高まる。この点を理解しようとしない。

あるいは、したくないのかも知れない。

 相対的貧困率を下げ、個人や世帯の所得を上げ、地方自治体や国の財政を健全化することが出来れば、今現在富を持っている人の負担もそれなりに下がるのだ。

 しかし、多くの人が『貧困に陥るのは自己責任』と考える。奴らに再出発のチャンスなど与えるべきではない。努力もしないくせに。

 貧困問題は、悪行の末の出来事と思っているから出てくるこの考え方。かつて、一億総中流だった頃の「思い出補正」が強すぎて、今の現実を見ることができない。

 だからこそ、平気で困っている人間を見放すのである。

AMD愛好家が語る、自作PC事情-2

2015年08月17日 00:39

前回-こちら

前回は、Intel、AMD、VIAそれぞれの製品傾向と各社の市場内シェアについて簡単に話した。

そこで、今回は簡単に三社それぞれの特色を話してみようと思う。

Intel - Intel insideがもたらしたオールラウンダー

Intelの強みは、PCのデファクトスタンダードとなっているx86アーキテクチャの特許を持っているところである。よって、他の競合二社に対して圧倒的に知的財産(IP)面での優位がある。これは、新しい世代のCPUを作る時に様々に便利な拡張命令を追加するのだが、競合二社よりも早く(あたりまえだが)実装し素早く市場へ供給することが出来る。

また、爆発的な普及による現金は、製品研究や生産ラインへの潤沢な投資にも繋がっているため途切れることのない新製品ラインを備えているのだ。

プロセッサの特性としては、シングルスレッド(一つの仕事)を爆速で実行するという典型的なアメ車の様な性格を持つ。特に、Core iシリーズは、表看板こそマルチコアプロセッサだが実態としては無理矢理縮めた直線番長が搭載されていると考えて間違いない。

一方で、プロセッサ性能を追求するあまり、CPU内蔵またはチップセット内蔵グラフィック性能については00年代までは「表示されるだけマシ」と呼ばれるほど貧弱であり、Intel内蔵グラフィックでオンラインゲームをしたいと言えばROでもやってればいいんじゃない……? こう困惑の返答を返さざるを得なかった。

現在のiGPUと呼ばれる内蔵グラフィックコアの素性は、時代と共に高まり続けるグラフィックス性能の要請にある程度答えた形には仕上がっている。上位クラスのCPUには、別なiGPUとして、Intel Irisや、Iris proと言ったそれなりにマトモに使えるグラフィックチップが組み込まれている。だが、そのクラスのシステムには別途、nVidiaやAMDのグラフィックチップや、ボードが組み込まれており、無用の長物となっているのが現状だ。

また、00年代中ごろに登場したIntel Atomプロセッサは、動く産業廃棄物の汚名を背負い続けつつもIntelの「勝つまで市場から撤退しない」の方針で、2015年現在は「タフな4コア省電力プロセッサ」と称賛される製品に成長した。

一個人が接する機会の最も多いプロセッサであり、いわばトヨタの様なものである。

AMD - 個性的な技術が集まった変態企業

現在のWindowsは、よほど特殊な理由がない限り32ビットアプリケーションと64ビットアプリケーションが同時に動くようになっている。このハードウェア的なアーキテクチャ互換性は、例えるならばディーゼルエンジンとガソリンエンジンが同居しているか、はたまた風力と原子力が同居しつつ互いに同じ出力を保っているのによく似ている。

x86アーキテクチャを進化させ、現在の形に導いたのがAMD64と呼ばれるプロセッサの実装である。これによって、PCのメインメモリーは32bit時代の最大4GBの壁を易々と超え、現在はノートパソコンでも最大64GBのメインメモリーを持つものが登場するようになった。

この複雑かつ、高度な仕組みを産み出し、人々にスーパーコンピュータ並の性能をもたらしたのがAMDのAthlon64シリーズであった。
AMDは、Intelが見ている地平線の先を多少粗削りでも良いから搭載する野心的な企業である。その緻密な設計は、どこかドイツ車を想像させるものがある。

プロセッサの特性としては、CPUコアを大量に搭載し分散処理させるマルチコアコンピューティングに舵を切ってきた。しかし、そのため多くのプログラムが直線番長のIntelプロセッサへの最適化を行っている関係で、もてるポテンシャルを十分活かし切るにはユーザーの工夫が必要という少々荒っぽいものとなった。

現在は、Intelに先じて投入したIntel抹殺兵器群Aシリーズプロセッサを中心に、業界第二位の座についている。また、自前でマトモなグラフィックスチップを作ることが出来る稀有なメーカーの一つとなった。
AMD Radeonと言えば、聞き覚えのある読者も多いのではないだろうか。

他方、00年代にチップ生産部門を売却し、半導体の微細化プロセスには関与しなくなったため、市場がAMDのチップを求めても供給が足りないと言う問題を抱えてしまった。もっとも、これは自前で生産設備を持っている時も起こっていたことであるから、些細な問題なのかもしれない。

一応、Intelと競合できる製品は一通り(サーバ用の高額かつ高性能チップは来年の登場を待たなければならないらしい)揃えている物の、受注がないためカタログに掲載されているだけの製品もチラホラあるのがこのメーカーの泣き所だ。

トリッキーなものを「当たり前に」持っていくこの企業では、今日も面白おかしい企みが進んでいる。

VIA - 組み込み王。しかし、民衆は彼を忘れつつある

VIAのCPUは、産業機械への組み込みに活路を見出した1990年代後半から一貫して省電力、省スペースにこだわってきた。
そのため、00年代前半は小規模サーバなどを中心に一部の自作PCユーザから好まれた。
さらに、00年代中頃には新世代省電力CPU VIA nanoを発表。その省電力性と供給期間の長さで、上位二社との差別化を図ってきた。

しかし、悲劇が訪れた。動く産廃ことintel Atomの来襲である。コイツは「電気ポットにもx86プロセッサを載せよう」と企む物量のIntelが投げやり気味に投入した新兵器だったが、それでも同じ性能ならコイツの方がnanoプロセッサよりもより少ない電力で動いてしまったのである。知る人ぞ知る「Nanoちゃん、ぼっこぼこ事件」とはこの件を指すことも多い。

未だに、組み込みを中心に厚い支持層を持っているが。一般のノートPCなどに進出する機会を失って久しい。彼のメーカーの復権にはいましばらくの時間と予算が必要だろう。


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